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Page.Ⅱ   殺人鬼 ( 前編 )

   ~畏怖 咽び家side story~

​————————君に何が出来る?

​

​

​

嫌いな手が、自分の首元に伸びて来た。

​

​

​

​

これは、名誉だよ?

​

​

​

​

​

・・・私のな。

​

​

​

*

​

​

​

​

目覚めは最悪だった。

​

​

嫌な汗が首を伝う。

​

​

嗚呼、胸糞悪い。身体が鉛のようだ。

​

​

この男の名は黒川。

何処にでもいるような普通の男———————————

強いて言えばちゃんと大学を卒業して、有名なあの大関東製薬会社に入った、

という所か。

​

​

​

凍てつく空気を、四秒で吸って、八秒で吐く。

集中するためのルーティーンの様なものだ。

​

​

ふと、視線をずらす。

​

 

「・・・5時、か。」

​

​

起床するには早すぎる時間。

黒川は、ぽきぽきと背骨をならしながら鉛の身体を持ち上げ、

身なりを整えた。

​

​

​

​

​

​

​

​

​

一日と一週間は変わらない、黒川にとっては。

​

人混みに揺られ十数分かけて出勤。

昼食はその都度適当に。無論一人で。

そして何日か泊まって没頭して、着替えがなくなったら帰る。

​

​

この単調な生活がいつまで続くのか。

​

​

来る日も来る日も同じことの繰り返し。

友達は昔から少ない。・・・いや訂正しよう。

いない。

そんな自分からしたら代わり映えのしない日々。

映画の主人公には到底なれない、まるでエキストラの様な人生だ。

​

​

​

至って普通の人間。寧ろ、人一倍気が弱い。

ただ努力だけは人一倍してきたつもりだ。

他の人よりは多少自信がある。

​

​

黒川は毎日、熱心に研究を続けていた。

研究中だけは自分が生きている、という実感が湧く。

​

嗚呼、結果を出したい。

​

いつか、このツマラナイ時間から抜け出せると信じて。

​

​

​

​

*

​

​

​

​

そんなある日。

​

​

​

​

「研究熱心だね、黒川君は。」

​

誰かが黒川の研究室に入ってきた。

​

「お疲れ様です。吉川研究科長。」

「うむ。そろそろ結果が出せそうかね?」

「あともう少しで見えてきそうなところまでは来てるんですが・・・」

​

​

​

この人は吉川昭三。研究科長。

人当たりはいい方で、尊敬できる人だ。

度々研究室を覗きに来る。自分も忙しいだろうに。

​

​

「まぁ焦ることはない、しっかり頑張ってくれ。

君には期待してるんだ。では失礼する。」

「ありがとうございます。頑張ります。」

​

​

​

ああいう人が、才能があって周りにたくさん仲間がいて、

真面目に努力して勝ち取ってきた映画の主人公なのだろう。

​

黒川は妬みなどなかった。寧ろ更にやる気が湧いた。

この日は時間を忘れて没頭した。

​

​

​

​

​

​

​

​

​

​「できた・・・!!」

​

ついに研究は終わりを告げた。

嬉しさのあまり、らしくもないつい大きな声を上げてしまった。

入社して早十年近く。ようやく報われた気がした。

​

「発表、臨床試験、承認、製造販売まであと少しだ。

今はもう少しデータを取りたいところだけど、まずは、研究科長に報告しよう・・・!」

​

​

黒川は速足で吉川のもとへと向かった。

​

​

​

*

​

​

「これはすごい。大発見じゃないか。」

「ありがとうございます。」

​

吉川はまるで自分が発見したかのように手を取り、一緒に喜んでくれた。

​

​

黒川は長年の研究で、中等症から重症の嚢胞性線維症に対し、

開発した国内未承認の新薬 ムセロプシン が有効性であると発見し、

吉川に報告した。

​

嚢胞性線維症とは、特定の分泌腺が異常な分泌物を産生し、

それによって組織や器官、特に肺や消化官が損傷を受ける遺伝性疾患の事だ。

​

​

黒川は、この内容が学会で認められたら、その ムセロプシン の第一人者となる。

昆虫の体内にある成分(タンパク質)の一種に長年着目し続け、

ようやく新薬を開発したのである。

​

​

​

「で、どうするんだ?」

​

「今週中にまとめて米国皮膚科学会で発表しようと思うんです。

ただ、有効性などをもう少し慎重に調べて、

動物に投与してみるなど、非臨床試験を行う予定です。」

​

「そうか・・・なるほどな、これで大関東製薬会社ももっと有名になるな。

我が研究室のメンバーとして誇りに思うよ。」

​

「ありがとうございます。偏に親身になって気遣って下さった

研究科長のおかげです。発表に向けて頑張ります。」

​

​

黒川は研究科長に頭を下げ、部屋を後にした。

​

​

​

——————これが魔の恐怖への引き金になるとも知らずに。

​

​

​

​

​

​

​

​

​

​

数日経ったとある朝。

いつも通り、研究室へと足を運ぶと他の研究員たちの姿が見当たらない。

自分にとってはあまり関係ない事だが、少し気になり探してみることにした。

すると、声は吉川研究科長の部屋から聞こえた。

​

​

「どうしたんですか?」

​

群がる研究員の一人の話しかけると、

耳を疑う返事が返ってきた。

​

​

「お前、知らないのか?

吉川研究科長が、米国皮膚科学会で大関東製薬会社を代表して発表したんだ。

嚢胞性線維症の新薬、ムセロプシンを 私が 開発したって。」

​

—————————まさか?

あの吉川研究科長が?

 

「ありえない・・・それは僕が開発したものだ。」

「馬鹿言えよ、もう学会で発表して、新薬アワード受賞って話だぜ?

今日はその祝賀会だ・・・っておい!」

​

黒川は話を最後まで聞かず、人混みを無造作に掻き分け押しのけ、

その先にいる吉川のもとへ向かっていた。

​

​

「吉川研究科長!!!」

​

そこには満面の笑みの吉川がいた。

​

「やぁ、黒川君。」

「やぁ、じゃないでしょう?!何で僕の研究・・・」

​

その言葉はすぐにかき消された。

​

​

「黒川君、話なら後にしてくれないか?

今は祝賀会、お祝いの席なんだ。無粋な真似はよしてくれ。」

​

​

呆れてものも言えなかった。

​

自分の研究を誰よりも見守って応援して、

希望とまで言ってくれた思いやりのある人が、

いとも簡単にあっさりと、最初から私が開発したような口ぶりで公言している。

​

​

黒川は黙ってこの場を立ち去った。

何なら何かの間違いだと、思いたかった。

​

自室に戻る足が、身体が、酷く鉛のように重く感じた。

​

​

まただ・・・

​

​

また自分はあの単調でツマラナイ日々に逆戻りするのか・・・。

やっと抜け出せた、この研究だけが自分の光さす道しるべだったのに。

​

一切の涙が出てこない。

代わりに色々な気持ちが留まる事を知らずに、こみあげてくる。

​

​

​

黒川は​空気を、四秒で吸って、八秒で吐いた。

​

​

​

*

​

​

​

戸をノックをする。静かに優しく。

​

「来ると思っていたよ、黒川君。」

​

​

そっと足音も立てずに静かに黒川は吉川の部屋に入った。

​

​

「何故、君の研究を横取りしたのか、だろ?」

​

​

吉川は黒川の顔を見向きもしなかった。

目線はずっと書類を書く手の方にあった。

黒川は少しずつそちらへ歩いた。

​

​

「簡単だよ、君を心から尊敬していたからだ。

だから名誉ある私がこの会社を代表して発表し、受賞もしたんだ。

私が発表した方が、君みたいな若手より信憑性があるからな。」

​

この言葉を聞いてふと、黒川は足を止めて一言こういった。

​

​

「それが、相手のツマラナイ日常から抜け出せる

唯一の希望だったとしても——————?」

​

吉川はペンを置き、顔を上げて言い放った。

​

​

「希望?はっ、知ったものか!

私は会社が有益に動く事しか考えていない。それの何が悪いんだ?

逆にお前が発表したとて、誰も見向きもしない。絶対にだ!

下の人間が粗相をすると、私の立場も危ぶまれる。そうなっては困るからな。

早めの害虫駆除だ。分かったらとっとと帰れ、嫌なら辞めてもらってもいい。」

​

「そうやって、他の人の研究の成果を全て横取りして・・・」

​

​

刹那、黒川の視界が揺れた。

一瞬にして自分は天井を向いていた。いや、向かされたのだ。

​

​

「ごちゃごちしつこいぞこの小童!

このまま首を絞めてやろうか。死体なんぞ私は簡単に隠蔽できるからな。

人一人消すことは造作もない。」

​

​

笑う吉川に対し、黒川は必死にもがいた。

吉川の力が思った以上に強く、自分では歯が立たなかった。

​

​

信じていた、

いや、信じてしまった自分が愚かだった——————

​

もう誰も信じない。

今そう悟った。

​

​

絞める手に一層力が入る。

​

​

​

「―――君に何が出来る?

何もできないだろう。今でさえ私の手を振りほどけずにいる。」

​

​

​

そうさ。人一倍気は弱いし、力もない。

​

​

「これは、栄誉だ。」

​

​

栄誉なわけあるか・・・これは・・・僕の研究だ。

​

​

黒川は底から込み上げてくる黒い何かを必死に塞き止めた。

​

​

「—————私の、な。」

​

​

​

黒川は一瞬のスキを突き、力の限り蹴り飛ばした。

​

​

「お前なんか・・・生きてる価値ねぇよ。」

​

​

​

死ね。

​

​

​

口から零れ出た言葉は

自分が発した言葉とは思えないものだった。

​

​

​

​

​

そこからの僕の記憶は曖昧だが、

これだけははっきりと覚えている。

​

​

​

​

​

​

​

​

僕は吉川昭三を殺した。​

​

​

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​

​

​

​

心臓を一突き。

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​

​

​

​

ポケットに忍ばせておいたナイフで。

さくっと。

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​

​

​

今でもあの感触は忘れられない。

豆腐を刺すかのような柔らかい感覚だった。

その後、楽しくて何回か刺したっけ。

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​

​

​

​

​

「意外と躊躇なくいけたな。」

​

​

​

​

僕・・・

俺は床に転がる大きな木偶の坊を蹴り転がした。

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​

​

​

​

「こいつは俺の研究を自分がさも作ったかのように発表し、

盗み取った悪い奴だ。死んで当然だ。」

​

​

​

​

急に笑いが何故か込み上げてきた。

笑いを堪える事が出来ず、ありのまま今の自分を出した。

​

こいつが死んで嬉しかったのか、

すっきりしたのか、怖かったのか、

または自分が今後罪人として生きていくことに

不安を感じて、一周回って笑い出したのかは覚えていない。

​

​

なんせ、この時は恐怖と不安と怒りで感情が抑えきれず、

アドレナリンがドバドバ溢れ出ていた。

​

​

​

ふと時計に目を見やる。

​

​

​

​

「ここが見つかるのも時間の問題だな。」

​

​

​

黒川は手に持っていたナイフをしまい、

ぼーっと天井を眺めた。

 

​

​

肩を軽く回し、首を左右にならす。

目を閉じ、

​

​

​

​

そして——————

​

​

​

​

​

​

​空気を、四秒で吸って、八秒で吐いた。

​

​

​

 

​

​

​

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​

​

​​

​

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​

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​

 

​​

​

-Continue to the second part-

​

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