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Page.Ⅳ   大家

   ~畏怖 咽び家side story~

​決して裕福ではない。

でもただ皆で・・・

それが結果的に、二人だけになったとしても。

明るく楽しく、幸せに暮らしていきたかった。

ただ、それだけだった。

他に望みなんてない。

こんな歳の私には。

でも・・・

 

 

それでも私は。

あわよくば、の希望に賭けてしまった。

賑やかな街 -方南町- で起こった

未だかつて誰にも知られていない。

悲しい物語――。

 

もし定年を迎えたら何をする?

旅行

趣味

のんびり

健康運動

ボランティア

色々人それぞれ思いつくことがあると思う。

皆は考えたことがあるだろうか?

今を生きることに精一杯?

それは思ってる以上に、唐突にやってくるものだ。

​「なぁ・・・」

「何ですか?」

対象の見えない宙を舞っている問いかけを

お茶を持ってきたその人は回収した。

「やっぱり、二階の部屋、不動産に登録しようか。」

新聞に目をやったままこっちを向かない彼に目を丸くした。

「何を言い出すかと思えば・・・

それは貴方がもう貸さないって以前、仰ったじゃないですか。」

「いや・・・そうなんだが。」

口どもる彼に溜息一つつかずに優しく微笑んだ。

「上の階の人がいるだけで、この家も少しは賑やかになりますよね。

​二人だけではやはり、少々物寂しい気もします。

また登録しなおしてくれますよ、不動産。まだ駅前にありましたよね?」

早速行きましょうと言わんばかりに立ち上がると、

少し呆気にとられたが、続けざまに彼も立ち上がった。

 

 

この人達は齋藤ご夫婦。

方南町駅から徒歩五分程の場所にある一軒家に住んでいる。

ここはかつて齋藤の父親の持ち家だった。

今は譲り受けて住んでいる。

その為か、かなり風情のある住まい、と感じられる。

裏庭もあり、周りは沢山の木で緑が生い茂る、

夫婦には十分すぎるほどの広い家だ。

それはまだ、父親の持ち家だった頃、

夫婦二人だけ住むには広すぎる、という事で

二階を改装し、賃貸にしていた。

南に二部屋、北側に一部屋、共同スペースに和式トイレ。

この近くには学校も多く、

昔はその場所を学生や家族連れなどに貸していたそうだ。

当時はとても賑やかだったそう。足音がばたばたと沢山したり、

二階に風呂がない為、一階の我々の部屋まで来て貸してくださいと

せがむやつもいたという。

父親も賑やかなのは凄く好きだった為、喜んで貸していたそうだ。

そして、我々へと相続された。

もうその頃には皆、出て行ってしまってもぬけの殻となっていた。

 

そんなある日、従弟が引っ越したいと申し出て来た。当時30代の男だ。

何をやるのもダメ、上手くいかない、そして結果挫折して

引きこもりを続けている、背が高くて茶髪の男だ。

「ちゃんと働く。頑張るから。」

勿論、従弟という理由だけで貸すつもりだった。

でも、本人の口からそう言ってくれて嬉しく思った。

だが・・・

いつまで経っても働く姿勢が見られなかった。

「いつまで部屋に引き籠ってるつもりだ。家賃も払わんと!

「分かってるよ!!」

越しに話すも一向に出てこない。

齋藤は少し苛立っていた。

「まぁまぁ、いいじゃないですか。従弟なんですし。

上に暮らしてるだけでも少し賑やかに感じませんか?」

「お前は甘やかしすぎだ。あいつはもう40近くになる。

いい立派な大人が!まだ働きもしない!それに家賃もまだじゃないか。」

「きっと何かあるんですよ。もう少し待ちましょう、ね?」

​私の何がいけないんだ。

私は間違っていない。働かないアイツが悪い。

そう思っていた。

 

 

 

そう思ってしまったのがいけなかったのか?

 

 

 

それから程なくして、従弟は行方を眩ませた————。

その事実に気づいたのはあの口論から三日後の事だった。

急遽、捜索願が出された。

 

 

 

 

それから一年後——————。

 

☏​~♪

「あなた・・・!」

その連絡はあまりにも悲惨なものだった。

山梨県警からの電話だった。

遺体が樹海で見つかったそうだ。

自殺だろう、と。

酷く後悔した。

あの時、怒るのではなく、何か相談に乗ってあげる事が出来ていれば

こんな事にはなってなかったのかもしれない、と。

意固地になっていた自分を責めた。

「もう、二階の貸し出しは辞めよう。」

あの出来事から十数年経った今。

再登録をしに行っててみたが、一向に契約が決まる気配もない。

たまに内見に来る人はいるが、それ以降はない。

やはりだめだったのか。そう諦めかけていた時、

「ちょっとあなた。駅前に昔あった美容院がなくなって

新しい不動産屋になってたわ。そこも登録してみない?」

新しい、不動産?

やらないよりはやった方がいい。

物は試し、早速齋藤は登録してみようと電話を入れた。

「明日内見に来るそうだ。」

「そうですか。久しぶりの来客ですね。」

人は久しぶりの来客に心を躍らせた。

当日。

現れたのは40代くらいの男だった。黒髪短髪。

スーツがばっちり決まっている。表情は引きつって緊張している面持ちだった。

名前は確か、Y澤さんって言っていたか。

我々は遠慮しなくていい、と伝えたが、

彼は更にかしこまってしまった。

二階の三部屋を案内し、すぐに見て帰ろうとした彼を

奥さんは引き留めた。

​「もし、よかったらなんだけど、お茶でもどうかしら?

久々のお客様、じゃないけど来客なんて滅多にないから

彼は少し渋っていたが、

奥さんの気持ちが強かったのか、頭をへこへこさせてついてきた。

我々の世間話に付き合ってくれる、いい人だ。

これから先、いい事がありそうだ。

お茶の後、玄関まで見送った。

心なしか最後、Y澤の足が痺れてるように見えた。

あの内見からほどなくして

別の不動産から電話がかかってきた。

以前再登録した不動産屋だ。

 

 

何でも、同じ人が即入居を希望しており、

部屋を借りれるのなら二部屋同時に借りたい、

との相談だった。

夫婦は一瞬驚き顔を見合わせたが、

沢山借りてくれる分には願ったりかなったりだ、と

内見だけでなく契約も引き受けた。

 

 

 

希望者は 黒川 という男だった。

大田区の大関東製薬会社に勤めているらしい。

明るい清楚な感じの人を想像した。

だが実際、彼が入居する際に会ってみると、

身長は平均的、ごく普通の礼儀正しい男性。

会社に勤めている割には、あまり明るいと言ったいい印象には感じられない。

どことなく影があるような、何かを抱えているような雰囲気がだった。

「貴方が黒川さんだね?大家の齋藤です。

隣にいるのが家内です。これからよろしくお願いします。」

「困ったことがあったら何でも遠慮なく言ってちょうだいね。」

「はい。こちらこそ、よろしくお願いします。」

二人は早速黒川を部屋へと案内した。

「部屋は見ての通り、三部屋ある。二部屋借りたいって仰ってましたよね?

よければ日当たりのいい南側二部屋、使って下さい。」

「え、いいんですか?」

「いいのよ。ずっと空き部屋だから。それに、せっかく同時に借りて下さるんですもの、

一部屋三万円だけど、五万五千円でもいいわ。」

ずっと空いているよりはいい。こう提案した。

ただ、黒川はこの話を聞いて表情一つ変えずに話を聞いていたことに違和感を覚えた。

奥さんが黒川の顔をじっと見た瞬間。

「あの、もういいですか?」

自室に入りたそうにしている黒川が戸に手をかけた。

「あ、すみません。質問がなければこれで我々も失礼しま・・・」

「あの、一ついいかしら?」

言葉を遮って質問した。

黒川は黙ってこちらを見ている。

「別にいいんだけど、何で二部屋同時に借りたいって思ったの?」

この言葉に一瞬だがピクッと黒川は反応した。

「僕、製薬会社に勤めてまして。寝る部屋と、薬学書だったり、

色んな標本とか薬とか、そういうものを置ける机がある専用の部屋も欲しくて。」

「あ、そうだったの。変なこと聞いてごめんなさいね。」

「いえ、では失礼します。」

この時、一瞬僅かばかりに黒川の頬が何故か緩んだ気がした。

「変わった人だな。お前も変なこと聞くんじゃない。

何か理由があるんだろう。一部屋じゃ狭いだろうし。」

「そうよね、ごめんなさい。

ただ、この時期にどうして同時に?とふと気になったんです。

理由は人それぞれよね。」

奥さんにはどうも引っかかったようだったが、

気のせいだ、と思うようにした。

「あ、そうよ!Y澤さんの所、電話しなくっちゃね。」

「そうだな、俺が電話しておくから茶でも入れて来てくれ。」

「分かりました。よろしくお願いしますね。」

このまま北側の部屋も埋まってくれるといいなと

二人はそう願っていた。

季節が移り替わり、少し冷えてきて黒川が来て半年は経とうとした頃。

​家の中の雰囲気も少し、変わった気がした。

「やけに最近物音とか唸り声がするな。」

「そうですね。何かあったんですかね・・・。

最初は家賃もしっかり振り込んでくれてたのに、ここ何か月分か・・・。」

「滞納気味か。そういや最近、黒川さんと会ってないな。」

「ちゃんと仕事行ってるのかしら。玄関から出てる気配もあまりないし。」

芋づる式に出てくるのは、不安なことだらけ。

奥さんは凄く落ち込んでいるようにも見えた。でも齋藤さんは違った。

「こんな綺麗とは言えない、トイレも共同な所に引っ越してくるくらいだ。

きっと何か事情があるんだ。もう少し見守っていよう。」

奥さんは顔を上げた。

以前の彼ならこう考えも、思いもしないだろう。

「そうですね。もし、黒川さんが困っているようだったら、

一緒に助けてあげましょうね。」

「ああ。」

もう従弟のような思いはさせたくない。

そう固く自分の中で決意した。

あの人は、自分に厳しいから相手にもそうしてしまう。

でも凄く根はいい人。優しい人。それが少し素直になれないだけで。

子供みたいな所があるけど、少しは変わろうとしてるのね。

奥さんは少し微笑ましかった。

もう同じ過ちは繰り返さない。

これからは、どんなことがあっても乗り越えられる。

この家に住むみんなで、幸せに暮らそう。

そう思っていた。

いつものように居間で新聞を見ながら茶をすすっていたら、

奥さんが血相を変えて降りて来た。

「あなた!あなた!」

「どうした?少し落ち着きなさい。」

冷汗が止まらない。

奥さんは一旦、隣に座って落ち着かせた。

「ごめんなさい。もう大丈夫。

あの、二階の掃除をしようと思ってまず、掃除機をかけてたら、

黒川さんの部屋がね、少し空いていたのよ。

見るつもりはなかったんですけど・・・。

彼女曰く、

中を覗いてみると無数の紙が貼られており、殴り書きのような文字で、

よく分からない事が沢山書いてあったという。

 

齋藤は、あまり人のプライベートには干渉したくはなかったが、

家賃が滞納しているというのもあり、そして彼の事を少し不安に思っていたので、

奥さんの言っていたことを確かめようと二階に上がった。

何かの間違いであってほしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だ、これは・・・?」

毒電波、ミルナミルナミルナ、皆俺を馬鹿にする、・・・

紙の内容は頭のおかしくなってしまったような意味不明な文章が

何枚も貼ってあった。齋藤はそれからとても不安になり、

彼に何度かコンタクトを取ろうとして部屋を訪れたが、

扉を開けてもらえず・・・。

せめて話だけでも聞いてくれれば・・・!

「私は君の事がただ心配なだけなんだ。

同じ屋根の下で暮らす、いわば家族の様なもの。

以前、従弟が住んでいてね、彼も君と同じように悩んでいたよ。

————私は彼を助けられなかった。

だから君だけは助けてあげたい。本当に家族のように思っているんだ。

私たちには一人暮らしをしている息子もいる。

だから、皆で時には助け合って楽しく暮らしていきたい。

君はどうかね。」

齋藤の話も虚しく、黒川からは物音一つ返ってこなかった。

「また来るよ。すまないね。」

言い残すと階段を下りて行った。

その齋藤の背中が小さく、寂しく見えた。

方南町にも桜が咲き乱れるようになり、

春の暖かさを感じられるようになった頃――

息子が北海道の大学に進学する事になった。

水産業を学びたい

と言う息子の願いを叶えるべく、快く送り出すことにした。

今まではここからほど遠くない高校で一人暮らしをしていたが、

北海道となるとそう簡単に会える距離ではない。

資金も必要になってくる。仕送りをしなければ・・・​

夫婦たちに残された財産もそう多くはない。

いよいよ黒川に家賃の滞納分の相談を本格的にしなければならなくなってきた。

「心苦しいが、やむを得まい。」

「そうですね。」

ただ彼は、精神的に不安定なので何をしでかすか分からない。

保険として、何か証拠になるものが必要になると思い、奥さんにビデオカメラを渡し、

彼と私の一部始終を記録してもらうようにお願いした。

齋藤は深く深呼吸をした。

「じゃ、行くぞ。」

「はい。」

奥さんはビデオを回し始めた。

二人は、空へと続く階段を一歩一歩踏みしめて上がっていった。

これ以降、夫婦の姿を見た者はいない。

誰にも知られる事のない

誰にも見つけてもらえない。

悲しい物語―――。

-END-

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【Lock】・・・e
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